欧美日b大片

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特集2009年6月23日

宮島智美 世界銀行 中東?北アフリカ地域総局 人間開発局 教育専門官ー~第1回 世银スタッフの横颜インタビュー

気さくで自然体。人懐っこい笑颜からは人间としての温かみが感じられる。主に高等教育のプロジェクトを率いるプロジェクトリーダーの宫岛さん。『今の课题は国际机関の効果的なリーダーシップですね。日本人としての良さを生かしながら自分の意见を(同僚や担当する国々の政府関係に)きちんと受け入れてもらう。プロジェクトのマネージメントばかりに集中していると、技术的な部分を他人任せにしてしまうんです。だからプロジェクトの成果や结果の批判ばかり上手くなって、いざ自分でやってみようと思うと何もできない、なんて人は少なくないんですよ。私はなるべくそうならないようにテクニカルスキルに関しても学び続けるように心がけています。』こう语る宫岛さんからは、常に初心を忘れず人生を歩んでいる姿势がうかがえる。

Tomomi Miyajima

欧美日b大片

大学卒業後、岐阜県の公立高校英語科教員として5年半(職業高校3年、養護学校で2年半)働いたのち、2000年にアメリカ カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 教育?情報学大学院留学。比較?国際教育学修士号?博士号取得。UCLA Paulo Freire Institute、Women's Research and Education Institute でリサーチフェローののち、2004年より世界銀行勤務。東南アジア(ラオス)公共財務プロジェクト、社会開発プロジェクトなどを経て現在中東?北アフリカ地域総局にて各国の教育改革を支援するさまざまなプロジェクトに携わる。家族は夫と娘2人(3歳、0歳)。2009年2月に第二子出産後、3ヶ月の産休から復帰。現在は夫が育児休暇を活用して家事?育児奮闘中。掃除に料理に赤ちゃんの世話、どれも器用な夫に負けそうで思わず危機感を抱く、惑える現役ワーキングマザー。

田舎育ちの元高校教师。自立した女性を目指す。

実は私、元ヤンキー高校の教师なんです。23歳の新米教师にはなかなかチャレンジングな経験でしたね。农业高校で、地元でも有名な底辺校でした。毎日のように暴力沙汰とかで警察のお世话になる事件が起こっていましたよ(苦笑)。いやぁ、本当に激しい日々でした。心身共に消耗し切ってしまった数年后、今度は养护学校(肢体不自由、础顿贬顿、自闭症や精神异常のある中学生)に配属されました。

何故教师になったか?それは私の生い立ちにさかのぼります。私は幼くして両亲を亡くしたので、祖父母に育てられたんです。しかも田舎(岐阜と长野の県境)の地域色が强い保守的な环境で、今だに『女性に教育はいらない』『4年制大学なんて时间の无駄。短大の家政科で十分』という価値観が重视される所です。両亲もいないとなると周囲は余计に早く结婚して家におさまるのが一番という目で私を见ていましたね。その価値観がどうしても驯染めなくて???。学生时代はとりあえず精神的にも経済的にも早く自立したいと思っていて、その环境からどう抜け出すか、という事ばかり考えていました。高校卒业后はなんとか周りを説得して大学进学しました。???と言っても决して周知の名门大学に行ったわけではなく、地元の女子大なんですけれど。英文科に进んだので、そのまま英语科の教师になりました。当时は就职氷河期真っただ中だったので、とりあえず女性が长く働けて福利厚生の良い安定した职业を选びたかったんです。思いついたのが银行员か教员。教师の方が长年働けるかな、という単纯な理由で教职を选びました。

自立したい、という愿望は育った家庭环境を通じて培われた価値観のような気がしますね。両亲が亡くなって以降、亲族内の関係を子供ながらに観察していたんです。特に女性の立场について。なぜ多くの女性はその结婚相手によって运命が左右されるのか、って疑问に思っていたんです。自ら自分の人生の生きる「すべ」があれば他人任せの人生は避けられるのではないか。そのような「すべ」があるならば私も身につけたい、って。これがキャリアへの愿望の源です。

教え子达への想い、ジレンマ、さらなる飞跃へ。

いわゆる“普通の学校”ではない所で教师をする経験は、じきに教育システムへの疑问へとつながりました。私の教え子达は劣悪な环境に生きながら“学ぶ”机会を与えられず、底辺校に入れられてしまう。痛々しかったのは、そんな中で育った生徒达は自尊心が非常に低いんです。一人一人见るとすごく良い魅力を持っている生徒达なんですよ。一人间として求められるべく能力はそれぞれ持っているんです。ただ残念な事に、その能力は一般的な学校システムでは评価されない。学力的に评価できないけれど独自の力がある生徒达は、それでも认められたい、アテンションが欲しいという愿望を暴力という形で表现してしまうんです。こんな毎日を送っていく内に、学力的评価以外を编み出せない学校のシステムに问题があるのではないか、って疑问を持ち始めたんです。

さらには公务员として、日本の政府はとても硬いな、と感じていたんですね。中央政府の决定事项が即座に反映される。ある意味効率的なのかもしれないけれど、本当に生徒たちの為になっているんだろうか?公务员として政府の决定事项を実行するだけという状况にジレンマを感じていました。学校の方针、教育制度に従う、という根本的なストラクチャーは教师ではなく、政府が决める。では政策というのはどうやって决まるのか。一端现场を离れて政策サイドを见てみよう、という愿望を抱き始めたんです。これが大学院进学への愿望に繋がりました。ただ、この方向転换が何に繋がるか、とまでは考えていませんでしたね。

不安だらけの毎日。ポイントは自分に正直になること。

大学院进学への希望はあったのですが、クリアなビジョンがあったわけではないんです。一歩一歩いつも不安でした。留学してからも、博士课程に进んでからも常に不安で、胸がいっぱいになってしまう事は日常茶饭事でした。公务员を辞める事や留学する事へ不安は隠せなかったけれど、留学がしたいのは确かでした。だから无谋かもしれないけれどやってみよう、と自分の正直な気持を优先したんです。その时にやらなければいけない事をとりあえず顽张ろうって。一つクリアだったのは留学先。ディスアドバンテージを抱える子供たちに対する环境が整っていて、特殊教育が进んでいるアメリカに行きたい、というビジョンはありました。

留学準备は根性&情热です

留学に関しては育ての亲や亲せき、すべての人たちから反対を受けました。最终的には合意の元だったのですが、半分振り切って留学してしまいましたね(苦笑)。留学への準备は教员になった时からしていました。次のステップへの準备はどんな仕事をするにせよ、しておこうと思っていましたから。仕事経験も一社会人として社会をしっかりと学べるという意味で必ず3年は続けようと决めていました。3年间あれば多少は贮金も出来ますしね。骋搁贰(※)の勉强も一年半のスパンで準备をしました。仕事前、朝4时に起きてひたすら勉强しましたよ~。今思うと若いなぁ、と実感します(笑)。目的があったのでやれた事なのかもしれませんね???。ボキャブラリーがやっぱりネックで、决して高い点数が取れたわけではないんです。だから鲍颁尝础に受かったのは点数だけではない、と自信を持って言えますね。何でしょうね、、、“情热”だと思います。

※GRE (Graduate Record Examination):アメリカ合衆国やカナダの通常の大学院へ進学へ必要な共通試験

博士课程への进学???また不安。苦悩と开き直り

当时の英语力は日本の教育で学ぶ程度のものでした。留学一年目は毎日枕を濡らして泣いていましたよー(笑)。『どうして通じないんだろう?』って毎日が苦戦。大学院の勉强は讲义よりもディスカッションが多いので、なかなか会话に入れず大変でしたね。読み物も多くて人の倍の时间がかかっていました。ここまでくると、途中から开き直るしかない(笑)!间违っている事を言っていないか、など不安に思うのではなく取りあえず意见を述べる、ということを学びました。私の时代は卓上の英语教育だったんだけれど、最近は答弁をするスキルを养う方向に向かっている、とは闻きます。いい倾向ですね。

博士课程に进んだのは、修士を取った时点で学校から追い出されて何ができるんだ、という気持ちからです。一年半のプログラムだったので、何を学んだのか、具体的身に付いたものが何なのか自信がなかったんです。最近、引っ越しの準备をしていたら昔学校で使ったノートを见つけたのですが、当时の悩みがいっぱいページの端に书かれていました。自分の悩みを何かしらの形で吐き出したかったんでしょうね。もちろん人に相谈したりもしましたが、根本的な悩みというのは消えない。だから运动をして気分転换をしてみたり、瞑想してみたりと気晴らしになる事はしていました。ただ、今思うのは、根本的に常に抱いている不安を否定しなくてもいいんです。それが原动力になってこの先の顽张りに繋がるので。

爱を优先!いざワシントン顿颁へ

何故世银に入ったのか。お耻ずかしい话なのですが、実はきっかけは当时付き合っていた彼(现だんな様)なんです(笑)。彼も鲍颁尝础の博士课程で学んでいたのですが、最终年に滨惭贵(※)インターンが决まったんですね(今は职员として滨惭贵で働いている)。じゃあ私もワシントン顿颁にひと夏行き、シンクタンクでインターンをしながら就职活动をしてみよう、と思ったんです。インターン前に教育関係の団体を片っ端から探し、顿颁に着いた途端それぞれ足を出向いて会いに行きました。当时世界银行は普通の银行だと思っていたのですが、よくよく调べてみると教育分野の技术协力もやっているじゃない!これに気づいてからは世银についてひたすら调べました。顿颁生活を通じて知り合った世银职员など数多くの人たちに会いに行き、最终的にその夏が终わる顷にはラオスの教育プロジェクトのコンサルタントの仕事を顶きました。

滨惭贵で働く彼、比较教育に関する兴味、そして自分をアピールする能力がうまい具合にバランスが取れたからこそ今の自分に繋がったのだと思います。日本だと自らをアピールをして大きな声を出す、というのがなかなか难しかったり、美徳とされないケースが多々あるとは思います。ただ、世银のような场所では别。今の若い人たちにはアピール上手になる事をお勧めします。世银内で生き抜くためだけではなく、ドナーや政府侧と话をする际、黙っているだけではまったく相手にされません。効果的に自己アピールをする能力は必须です。私も若い时からこのスキルを养っていれば良かったと思います。

※IMF(International Monetary Fund)国際通貨基金 :通貨と為替相場の安定化を目的とした国際連合の専門機関

结局は「人」相手の仕事

プロジェクトを回す上でコンサルタント(短期で雇う契约职员)を雇うわけですが、数多い応募者の背景は十人十色。その中で谁が一番适しているか、という判断は実は対人能力なんです。クライアントとの関係、同僚との関係がいかにスムーズに効率的なものを保てるか、とういう「人」としての幅が重要になってくるんですね。それは今までどれだけ幅のある人たちと関わってきたか、本当に不利な立场にいる人达の気持ちが分かるのか、という所に表れます。テクニカルなスキルがあっても、残念ながらこの対人能力がないと仕事になりません。このような経験やスキルは履歴书だけでは分り兼ねる部分がありますね。

これから大学?大学院に进学する若い人たちに対して、自分にリミットをかけずに自分の兴味ある分野に进み、学校の名前などに限った选択をしないで欲しいと思う。一见、関係ないような事柄や仕事内容かもしれない。でも自分が本当にそれに兴味があり、贡献し、その経験から学んでいれば必ずそれが将来役立つものになると思う。いわゆる高校?大学からエリートコースを选んでいないと世银で働けない、というわけではないんです。自分の兴味をたどり、兴味の幅を広げ、その事柄を学ぶことで自分を磨く。なるべく多くの情报にアクセスし、知识の幅と深さを追求する事ですね。そういった意味では、政府机関であろうが、一般公司であろうが、叁流大学にい行こうが関係ないような気がします。一番のポイントはサブスタンス、“中身”です!

インタビューをしながら、突如旦那さまから电话が入り、3歳になる娘を迎えに行って欲しい、とお愿いをする。电话を切った瞬间「とてもヘルプフルな旦那なんです」と笑颜で话す智美さん。子育てをしつつ、数多くの出张をこなししている一児の母。嫌味でもなく、自然な気持ちで「私、今とてもしあわせ」と公言をする。「良いパートナーを见つける事は精神的な安定に繋がりますね」と语る。実はこのインタビューの数週间后、二人目のお子さんをご出产され、今は产休に入られています。

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