欧美日b大片

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特集2011年10月11日

大野尚子 世界銀行 南アジア地域総局 人間開発局 業務担当官~第40回 世银スタッフの横颜インタビュー

鲜やかなグリーンのジャケットに身を包んで现れた大野さん。言叶の端々に仕事への情热や、弱者への思いやりが感じられる。开発の仕事に従事する人间として大事なのは、大野さんがごく当たり前に身につけている「途上国の人々に対する、同じ人间としての目线」なのかもしれない。そんな热い思いがこめられた大野さんの言叶から、あなた自身も何かを感じとって欲しい。

Naoko Ohno

欧美日b大片
东京都出身。学习院大学法学部政治学科卒业后、海外経済协力基金(现?国际协力机构:闯滨颁础)に入社。政府开発援助(翱顿础)の一环である円借款による东アジア地域での社会基础インフラ支援事业、役员室、社会开発案件発掘调査に従事した后、闯滨颁础海外长期研修制度の支援を受け、ジョンズ?ホプキンス大学公众卫生大学院留学。修士号取得后、世界银行东アジア?太平洋地域総局人间开発局保健セクターにてコンサルタントとして勤务。この间に太平洋诸国の人间开発レポートやモンゴル保健セクターなどの调査研究に従事。その后南アジア地域総局人间开発局保健セクターに移り、南アジア各国、特にインド及びスリランカの保健セクターのプロジェクトに従事。2010年から同局にて业务担当官として、パキスタンの人间开発セクター(保健、教育、及び社会保障セクターをカバー)の复数プロジェクトに関わっている。

フィリピンへの家族旅行で受けた衝撃

小学3年生のときに、家族でフィリピンに旅行したんです。マニラで车に乗っていたとき、自分と同じくらいの年の子どもが窓の外からお金をせがんできて、「どうして自分と同じ年顷の彼らが、こんなに私たちと违う生活を送っているんだろう」と衝撃を受けました。一方で、裕福に暮らしている家庭も垣间见る机会があって、その贫富の差に惊きました。幼いながらも社会に存在する不正义に疑问を抱いたことが、途上国の开発援助に兴味を持った最初のきっかけだったと思います。ただ小学生にできることは限られていますから、当时したことといえばユニセフの募金ぐらいでしたけれど。中学?高校のときも何か特别なことをしたわけではなく、ただ歴史や地理など世界のことに兴味があったので、とにかくそれらに関係した本をたくさん読んでいた记忆があります。そのせいもあって、先生からは哲学か史学科を勧められたんですが、それでは职业の选択の幅が狭まると思い、兴味がある学科の中で国际的なトピックがなるべく多く出てくるようなところという基準で、政治学科に进むことを决めました。

世界に関心を持ち続けた大学时代

大学ではチアリーダー部に入ったものの、2年生のときに练习中にスタンツから落ちて大けがを负い、亲に活动停止を言い渡されてしまいました。その后、比较政治のゼミに入ったのですが、毎回学生が兴味を持ったニュースを掘り下げて発表するという方式を取っていて、非常におもしろかったですね。ゼミの先生のモットーは、「世界のことを自分のことのように身近に考え、自分のことを世界のことのように客観的に考える」というもので、単纯なメッセージに闻こえますが、これは今でも开発援助における私の考え方の核になっています。

思いもかけない秘书室への异动

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就职活动中に海外経済协力基金を知って兴味を持ち、応募したところ幸运にも入ることができたんです。海外経済协力基金では、まず中国?韩国?モンゴルの社会基础インフラ支援事业に携わった后に、秘书室へ。途上国支援の现场から远ざかることがいやで抗议したのですが、结果としては组织の上层部がどういったことを考えて仕事をしているのかを知ることができ、秘书室で働いた2年半は、まったく违った视点から开発援助を见ることにもつながり、とても勉强になりました。世银総裁や円借款借入国の大臣クラスの人たちに直接お目にかかる机会もあって、今思えば贵重な経験でした。基金に入社して感じたのは、とにかく同僚にも上司にも后辈にも有能な人が多く、皆が开発援助という共通の目标を抱いて働くことは非常に素晴らしい体験でしたし、日々直面するチャレンジングな仕事も面白かったですね。

基金と日本输出入银行との合併により、1999年に国际协力银行(闯叠滨颁)へと组织改编されたことに伴い、私の闯叠滨颁での新业务は、有偿资金协力促进调査といって、案件形成を手伝ったり、案件実施中に问题が発生した场合は、调査を実施し解决を手助けしたりする仕事でした。最も印象に残っているのは、カンボジアでの港湾事业に関するプロジェクト。事业実施地域を含めたカンボジア全体での贬滨痴/础滨顿厂感染率が増加している时でしたので、「地方から港湾工事のために集まった日雇い労働者などから、贬滨痴/础滨顿厂がさらに拡大するのではないか」という悬念があったため、保健の専门家と一绪に様々な対策を検讨し贬滨痴や保健に全く无縁だったカンボジアの港湾局に対して、保健局との协力体制の构筑と、土木事业従事者の健康への配虑を働きかけるのは大変な苦労でした。このパイロットを契机として、円借款で実施される大规模インフラ事业についてはエイズ対策を组み込むことによって、闯叠滨颁として国际的なエイズ対策に积极的に参加していく运びとなったと闻いています。

苦労しながら公众卫生を学んだ大学院时代

仕事でいろいろな経験を積んでいくうちに、「やはり保健についてきちんと学びたい」という思いが強くなり、JBICを退職しJICAの支援を受け、アメリカのジョンズ?ホプキンス大学院に留学しました。学んだのは公衆衛生(public health)。この言葉自体は日本では馴染みが薄いですが、公衆衛生と医療の違いは、医療が患者個人個人の治療を主とするのに対し、公衆衛生は集団に対する疾病予防、例えば、子どもの予防接種や栄養、エイズ対策キャンペーンなどを意味します。人は健康でなければ教育を受ける機会も制限され、それによって仕事にも就けず貧困からも抜け出せなくなるので、人々の健康は国の発展の基礎だと思い、この分野で大学院で勉強することに決めました。

私が选択したヘルスサイエンスという2年间のプログラムは、1年目はコースワーク、2年目はインターンを経験して卒论という流れでしたが、一番苦労したのはコースワークの最初に生物学や解剖学を英语で学ばなければならなかったことです。クラスメイトは医疗のバックグラウンドを持った人が多く、そこまで医疗の知识が要求されるとは思っていなかったので、授业についていくのが大変でした。讲师として来ていた世银のスタッフから诱って顶いたインターンを修了し、大学院卒业后は正式にコンサルタントになりました。

「百闻は一见にしかず」现场経験の大切さ

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検诊に保健所を访れた新生児と家族(インド)
入行して最初の所属は东アジア?太平洋地域総局人间开発局保健セクターでした。东ティモールや太平洋诸岛に対する人间开発(教育、健康、社会保障)を担当しました。実际に现地に行き、そこで得たデータを元に対象国におけるセクター分析、そして援助戦略を人间开発の包括的な视点から作りあげていきます。その后、2006年に南アジア地域総局に移り、担当したのはインド?スリランカの保健プロジェクトでした。インドは巨大な国なので多くの世银プロジェクトは州レベルでの実施であり、担当した保健事业の1つは、デリーから电车で7时间、ヒマラヤ山脉の麓、ウッタラカンド州というところにありました。州都を起点に车でプロジェクトの进捗を见回るのは大変で、例えば、医者や看护妇などがちゃんと配置され働いているか、あるべき薬や医疗品や必要器具が揃っているか、分娩台はちゃんと机能しているか、など视察するのに、施设から施设の移动に车で数时间、急な山道をドライブしなければならず、一日に3轩视察といったペースでした。さらに、落石や地滑りが日常茶饭事で危険な悪路なのにすごいスピードを出すドライバーに愤慨したり、1日10ドル以下の安宿に泊まったりと、苦労话は尽きません。それでも、百闻は一见にしかず。特に开発援助の世界は人を相手にする仕事なので、机上の知识だけでは物事は解决しませんし、またそれがこの仕事の醍醐味だと思います。

2010年5月からパキスタンの人间开発セクター(保健、教育、社会保障)が主な仕事ですが、2009年にはタリバン攻势、そして2010年7月には歴史的な大洪水があったため、世银は紧急支援というスキームを使ってプロジェクト準备を进めました。通常1年程度かけてプロジェクト準备を完成させるのに対し、紧急支援では2、3ヶ月で终わらせるので、そのプロジェクトに携わったらどれくらい慌しくなるか想像出来るかと思います。结局、洪水発生から9ヶ月以内に、私は4件のプロジェクト準备に携わり、2ヶ月に一度の出张をこなしつつ世银理事会承认までもっていきました。2ヶ月に1度は出张でしたし、本当に忙しい1年でした???。パキスタン政府の洪水被害者支援プログラムに他のドナーと支援を行ったプロジェクト、洪水后のポリオケースの増加に対してポリオワクチンの紧急调达支援プロジェクト、などです。私はお话ししたように保健が専门ですが、业务担当官として、保健に限らず、违うセクターから复眼的に一国の开発を捉えることが出来、とても満足しています。闯叠滨颁でインフラ事业を担当していた経験が、开発に対する视野を広げてくれているのだと思います。

途上国の母亲と同じ视点で

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地方病院の产妇人科医と患者数の変化などのデータを検讨(インド)
プロジェクトに関わるオペレーションの仕事と并行して、保健の専门分野の仕事もしています。私自身2009年に娘を出产したので、リプロダクティブ?ヘルス(性と生殖に関する健康)をより身近に感じることができ、この思い入れが强い分野に関われることは幸せです。実际、南アジアは、教育、健康、雇用などの面で、特に女性の立场が低く、妊产妇の死亡率を例にとっても、南アジアはサブサハラ?アフリカ地域に次いで死亡率が高いんですね。出产10万件につき、母亲が出产に络む事故で死亡する确率は、アフガニスタンで1400人、パキスタン?インド?ネパールで300人、一方で日本は3.1人という程の违いがあります。しかし、日本でも100年前にはパキスタンと同様の値だったことを考えると、时间はかかるかもしれないけれど、これらの国々でも努力次第で死亡率低下が可能だと信じています。努力次第、というのは、国の経済発展を支える一人一人の国民に対し、国がどれだけ真剣に取り组むかということです。先程もお话ししたように、健康な国民が良い教育を受け、生产性の高い労働力として、経済に贡献するというサイクルを、世银では人间开発と捉えていますが、このやりがいのある分野での仕事を続けていきたいと思っています。

但し、幼い子供を置いての出张が多いのが难点で、出张先からスカイプで会话している时などに娘に泣かれたりすると、母亲不在で本当にかわいそうだと思います。仕事に専念出来るのも、夫や両亲の全面的な协力があってこそです。でも、将来、娘がもう少し大きくなったら、「お母さんは私を育てる一方で、途上国の子供たちとその母亲も健康で幸せな生活を送れるように仕事を顽张ってきたんだね」、と思ってもらえるかなと期待をしています。

开発の仕事をしたいと思っている方々へのメッセージ

世银は开発援助の世界では影响力も大きく、私自身やりがいのある仕事が出来て光栄です。でも、开発援助を仕事としたいからといって世银にこだわる必要は必ずしもなく、闯滨颁础や狈骋翱、民间公司もオプションのひとつ。先述のように、开発は复合的なものですから、自分のバックグラウンドも考虑して、どんな分野で関わっていきたいかを客観的に考え、目的意识をはっきりさせ、可能性を狭めずに、习得すべきスキルを见极めることが大事です。

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また、お话ししたように、体力的にもきつい地方视察に出かけたり、贫しい农村の人たちとディスカッションすることがあったり、その一方で担当の大臣や事务次官などと政策协议したりと、様々なレベルの人々との交流を楽しんでこなせるスキルも必要です。

自分自身を振り返ってみても、人生というのは计画した通りには进まないものです。でも、与えられた环境の中で吸収できることは全て吸収し、それをどう次のステップにつなげるか戦略的に考え行动につなげることで、道が开けてきます。そして开発の仕事に対する问题意识や情热を持ち続けていれば、困难な状况を乗り越えようとするパワーも出ますし、実现可能になることもたくさんあると思います。日本の若い皆さんには、梦を大きく持って実现させていって欲しいと思います。


最後になりましたが、“warm heart, cool head”―私が海外経済協力基金に入ったときに教えてもらった言葉です。人々の苦労に共感出来る温かい心と、冷静にその対処策を考えられる頭脳、その両方が開発援助を志す人には必要ですので、この言葉をぜひ頭のどこかに留めておいて欲しいですね。

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